虹いろ探偵団39 ジョージの母

ジョージの母

「長旅でお腹が空いたでしょ。何でも好きなものをお腹いっぱい食べてちょうだい。さっ、マリアちゃんも」

と、ジョージの母が言った。

メリルとジョージとマリアがメニューを覗き込んでいると、

「ここは何でも美味しいらしいわ。私も来たのははじめてだけど」

と、ジョージの母が言った。

ジョージが子羊のステーキ、メリルはグリルチキン、マリアが舌平目のムニエルを注文した。ジョージの母は、じゃ私もマリアちゃんと一緒にするわ、と言って舌平目のムニエルを注文した。

暫くは、来る道中で見た潮の渦の話、そして父と兄が眠る墓に寄ってきたことを交え談笑した。ジョージの母が心臓を患っていることもあり、体の具合や、日頃の生活の様子なども訊ねた。

「心臓が悪いといっても大したことはないのよ、ちょっと不整脈があるくらいで。日常生活には何の支障もないのよ」

と、ジョージの母は言った。そして、

「それよりも、心配したわ。ジョージからメリルさんと離婚することになるかも知れないって聞いたものだから」

と、言った。

「あっ、お母さん心配をかけてすいません。離婚はせずにすんだので安心してください。その報告もあって今日は来たんだ」

と、ジョージが言った。

そう、良かったわ、とジョージの母が安堵の表情で言った。

「お母さん、本当にご心配をおかけしました。それで、今日は離婚問題とは別件で、大切なことがあってそれをお話にきました」

と、メリルが言った。

そう、と相槌を打ちながら、にわかにジョージの母の表情が曇った。

「今からお話することは信じられないようなことですが、事実です」

と、前置きをしてメリルはジョージの母に話し出した。

実は、トムの幽霊が出てきたのだと。トムはずっと長い間なす術なく部屋に座っていたらしいこと。そして、顔の上半分が真っ黒い姿で現れたこと。そのトムは憎悪と敵意に満ちていたことを。そして、誰も聞いてくれなかった、と言っていたことを。寂しかったとトムが泣いていたこと、怖かったと肩を震わせていたことを。そして、最後は母なる命のなかに帰っていったことを。

「知っていたんです。トムが私のことを恨んでいたことは。だから、せめてジョージさんには、出来るだけのことをしてやりたいと思って…」

と、ジョージの母が言った。

「はい、お母さんの気持ちは充分わかっています。そして、とても良くしていただいていることも。だから、今さらお母さんを責めるつもりで来たんじゃないんです。ただ、本当に腹を割って何でも話し合える本当の家族になるために、今日は来ました」

と、メリルは言った。それを受けて今度はジョージが語りだした。

自分は母を一度も恨んだことはなかった。自分が父を嫌いだったように、母も父に苦労をかけられて離婚するしかなかったのだろうと半ば同情的に理解をしていたから。そして、母が自分たちを置いて出た理由についても、父が自分たちを跡取りだと言って母に渡さなかったからだと。だから本当は、母は自分たちを手放したくなかったのだ、泣く泣く手放さねばならなかったのだと。でも、トムが憎悪と敵意をむき出しにしてあんな姿で現れた。そして、トムが寂しい、怖かったと泣いていた。

「トムがそんなことを言っているのを聞いたことがなかった。トムはそんなこと口にしなかった、生きている間は。だから、トムがそんなに孤独だったなんて知らなかった」

と、ジョージが言った。そして、続けた。

それ以来、トムがそんなに孤独だったにも関わらず、自分はどうだったのだろう、と考えだした。そんな矢先、妻のメリルから、自分の分身が勝手に体という器を抜けて、意思をもってどろどろと動き回っていると聞かされた。そして、遂にマリアから母の夫として、そして養父として相応しくないと突きつけられたのだと。

「あの時はね。だけどもう、それは言いっこなし。今はジョージパパで良かったって思っているのよ、本当よ」

と、マリアが言った。

「そう。それであの時ジョージが電話をくれたのね」

と、ジョージの母が言った。

「でも、今はそのおかげでジョージさんとの夫婦の絆が深まったような気がします。すべきことは離婚じゃなく、家族の団結だって気づきましたから」

と、メリルが言った。そして、

「トムがあんな姿で現れて、寂しい、怖いと泣いてくれたから、ジョージも私もトムの気持ちに寄り添えたんだと思うんです。そしてトム自身も、その気持ちを口にしてはじめて孤独から解放されたのだと。だから、やっぱり人間は、本当の気持ちを口に出して相手に伝えなくちゃ心は壊れてしまうんじゃないかって。ジョージさんにもそれが必要だって思ったんです。そして、それを言い合える、受けとめ合える家族じゃなきゃいけないって思ったんです」

と、メリルは言った。

「だから、あらためて言いに来たんだ。俺も兄も辛い思いをしてきたんだってこと。父は出て行ったお母さんを恨んでいたから、母似だった俺は父に辛く当たられて随分嫌な思いをしたよ。だけど、決して責めにきた訳じゃないんだ。償いに何かして欲しい訳でもないんだ。知っていてほしいだけだよ。それに、今はお母さんには本当に良くしてもらっているしね」

と、ジョージが言った。

すると、メリルの脳裏にトムの姿が浮かび上がった。トムは以前のように真っ黒い姿ではないが、不貞腐れた表情で言った。俺は何もしてもらっていない、と。はっきりと。

「俺は何もしてもらっていない、ってトムが言ってるわ」

と、メリルが言った。

すると、

「そうなのよ。トムには何もしてあげられていないのよ」

と、ジョージの母はうっすらと涙を滲ませた。

「お母さん、トムは今となっては何も望んではいません。言い換えれば、してあげたくても何もしてあげられないのです。死んでしまったトムには。だからトムのために祈ってあげてほしいのです」

と、メリルは言った。

「お母さんも、トムには辛い思いがあるだろうけれど、目を伏せないでほしいんだ、その思いに」

と、ジョージが言った。

「そうなんです。お母さんの思いを正直にトムにぶつけてほしいんです。謝罪の気持ちでも、言い訳でも弁解でも。目を伏せて言わないより、言ったほうがずっと良い。でも、それは祈りという行為でしかトムには届かない、聞こえないんです」

と、メリルが言った。

ジョージの母は黙って頷いた。

「それから、もうひとつ大事な話があるのよね」

と、マリアが言った。

もうひとつ?と、ジョージの母がハンカチで目頭を押さえながら、問うようにマリアとジョージとメリルを見た。

メリルはジョージの母に、自分の親族であるロンド家とカーチス家の長男たちの死を語った。そして、次は息子であるエイドの番なのだと。ジョージの母は驚きのあまり言葉も見当たらないようだった。

「だから、家族の団結が必要なんです。エイドを救うためにも」

と、メリルが言った。

するとジョージの母が、おもむろに

「夏に、こっちの田舎で栽培している果物を送ったことがあったでしょ」

と、思い出したように話し出した。

あの頃はとても具合の悪い日が続いていたのだと。何もする気になれず、ただぐったりと寝たり起きたりを繰り返していた、食欲もなく。患っている心臓のせいかと思い、ドクターにも診てもらったが、特に病状が進んでいる様子もなかった。それで、夏の暑さのせいだろうということにした。それでも、その重く気だるい体と気持ちのなかで、ずっと何かひっかかるものがあったのだと。何かをしないといけないような焦りにも似た気持ちが。でも、その心にひっかかるものの正体もわからないまま月日だけが流れていった。するとある日、急にジョージに果物を送らなくちゃ、と思い立った。そして、ジョージの母はいそいそとマーケットに赴き、一番みずみずしくて美味しそうな果物を吟味し、配送手続きを済ませて自宅に帰った。すると、嘘のように体が軽いことに気づいた。ずっと重く、気だるくて自由に動くことさえままならなかったのが嘘のように。そして、何気なくカレンダーに目をやると、それがトムの誕生日だった、と。

「だから、トムが何か言っているような気はしていたのよ」

と、ジョージの母が言った。そして、続けた。

ジョージの父と離婚をした当時は、自分も若く世間知らずで経済力もないために、トムやジョージを引き取ることは出来ないと思い二人を置いて出たこと。そして、数年はひとり暮らしをしていたが、縁あって再婚をしたこと。そして、その男性との間に男の子を授かったこと。そして、そのご主人が若くで亡くなったこと。そのあとも、同居していたお舅さんをごく最近まで介護していたこと。そして、そのお舅さんを数年前に看取ったこと。

「今の家で生まれた息子ももう大人だし、この頃は何もすることがなくて時間があるせいか、考えることが多くなってね。急に思い立って車を走らせたりすることもあるのよ」

と、ジョージの母が言った。

「いいじゃありませんか、もう役目は充分に果たしたんですから。これからは自分のために生きていいと思います」

と、メリルが言った。

「そう。自分でも、もういいじゃない、って思っているの」

と、ジョージの母が言った。

「そうですよ。もうこれからは好きなことをして、好きなことを言って、自分に素直に生きればいいんだと思います」

と、メリルが言った。

すると、ジョージの母が真剣な瞳で

「これからは私、何をするか自分でもわからないと思う時があるの。それでも良い?」

と、メリルに問うた。

「はい。例えば、お母さんが酷いことを言ったとしても、どんなことをしたとしても、絶対に私はお母さんの手は離しません」

とメリルは、ジョージの母の手を握って答えた。

「本当ね」

と、ジョージの母が言った。

メリルは、「はい」と力強く頷いた。

その後は、ランチのあとの可愛いデザートに歓声をあげ、お茶を楽しみ、四人はレストランをあとにした。

ホテルの駐車場でジョージの母と別れることにした。ジョージは、お母さん、また来ます、と別れの挨拶をした。メリルも、お元気で、と挨拶をした。トムのために祈ってあげて、ということも忘れずに。そしてマリアは、美味しい食事を有り難う、と言って別れの挨拶とした。ジョージの母は、優しい穏やかな笑顔でひとりひとりに応じ、マリアちゃん、また一緒に来てね、と言った。マリアは、ええ、今度はエイドも一緒に連れて来るわ、と微笑み返した。

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